クチャ市街の西75キロの位置に、キジル千仏洞と呼ばれる寺院跡がある。
ムザルト川左岸の崖面に開掘された、タリム盆地最大の規模をもつ石窟寺院で、現存するその数は230窟を越える。その壁面に描かれているのは仏教画だけでなく、貴族や武人供養者、西洋から伝えられた文物、楽器などがあり、当時の様子を伝える貴重な資料として知られている。
切り立った崖に囲まれた泉の上には、抜けるような青い空
切り立った
崖間の険しい道を進んでいくと、不意に視界が開ける。目指す
ムザルト川だ。ここからしばらく進んだところに、キジル千仏洞とその研究施設である亀茲石窟研究所がある。
広大な敷地内には樹木が生え、小さいながら池もある。これまでずっと乾いた荒野を進んできたが、ここだけは
まるでオアシスだ。ぼくは文明が川沿いに興るという史実を思い出した。
簡単な
昼食を済ませたあと、ぼくらは千仏洞の西区と東区の境界線となっている渓谷へと分け入った。始めのうちは
整備されていた歩道も徐々に
山道となり、崖沿いに斜めにつけられた道やぬかるみに足を取られそうになる。歩くこと15分、不意に目の前に現われた終点が千泪泉だ。
これまで進んできた渓谷が袋小路になっており、正面の崖上からは
チョロチョロと水滴が滴ってくる。千泪泉とはロマンティックな名をつけたものだが、この泉には次のような悲しい伝説がある。
かつて亀茲国の姫と石工の青年が恋に落ちた。ふたりの仲を認めない王は、千の石窟を掘れば許してやろうと難題をふっかけ、諦めさせようとした。石工は寝食も忘れ掘り続けたが、999窟を掘ったところで息絶えた。それを知った姫は千の涙を流し、それが泉となって残っているという。
そんな石工が掘ったという石窟(もちろん作り話だが)は、崖の斜面に
黒々とした口を開いている。そこへ到る通路に関しては近年になって作られたものだが、石窟自体は4世紀~7世紀ごろに作られたものだといわれている。カメラは持ち込み禁止ということで、荷物を預けて見学した。
壁面を彩る青い顔料は、アフガニスタンで産出されるラピスラズリを用いたものだ。また壁に描かれた五弦琵琶(通常の琵琶は四弦)は世界で唯一、日本の正倉院に現存している。他にもギリシャ神話を表わす壁画が残るなど、シルクロードが東西を繋ぐ掛け橋だったことを物語っていた。
ただし、壁画のほとんどは無残に剥がれ、今ではほとんど見る影もない。ここもまた異教徒からの破壊や、調査隊という名の掠奪、さらには自然災害にまでさらされ、かすかにその痕跡を留めているに過ぎない。ぼくは頭の中で破壊箇所の補完をおこない、往時の姿に想いを馳せた。