トルファンの市街地へ入る前に、交河故城と呼ばれる城跡を訪れた。
ふたつの河が交わる高台は、かつてこの地で栄えたとされる車師前国の都があったという。6世紀初頭には高昌国の交河郡城が築かれるが、現存する遺跡は唐代以降に建築されたものだという。いくつもの国や民族がこの地で繁栄を極め、やがては衰退し、滅亡していった名残なのだ。
南側入り口より高台の上に出ると、その
壮大なスケールに驚かされる。
我々日本人の概念からいえば城は城でしかないが、中国に於いての城は城塞都市である。南北に約1キロ、東西の最大幅が300メートルを越える場所に、泥と石で積み上げられたような都市の残滓が広がっている。かつて多くの人々が
行き交ったであろう名残は、そこにはなかった。
それにしても19時を過ぎてなお、新疆の空は明るかった。
中国はその広大な領土を持ちながら、全土を北京時間で統一している。しかし、それではいろいろと不便も大きかろうと、新疆ウイグル自治区ではウイグル時間と呼ばれるローカルタイムも採用している。時差は北京時間からマイナス2時間ほど。つまりはまだ17時過ぎ程度なのだった。
ぼくらは沈む
夕日に照らされる遺跡内を散策しながら、この街の盛衰に想いを馳せるのだった。
翌日はまだ薄暗いうち(といっても7時半頃)からホテルを出て、高昌故城を訊ねた。
高昌は先に述べた車師前国を滅ぼした国で、トルファンを中心に1,000年以上に渡り栄華を極めた。その治所はカラホージョと呼ばれる都城址で、総面積は200万平米、外周5キロに及ぶ広大な敷地を城壁で囲い、その内部を宮城、内城、外城に分けて政治・経済の中心としていた。
だが、現在は見る影もなく、荒涼とした大地に
ぽつりぽつりと遺物が残るばかりの寂しい場所だ。
敷地内の移動には観光用のロバ車が利用される。もちろん徒歩でも散策することができるが、のんびりと歩いていては丸1日あっても足りないほど広い。ぼくらはシルクロードを旅するキャラバン隊よろしく、荷台にぎゅうぎゅうに押し込まれたまま、朝焼けの眩しい荒涼たる大地を疾走した。
城址の中央部には、
小さな祠のような建物(再建)が見られる。これは僧侶が説法に利用した場所だそうで、かの玄奘が高昌国を訪れた際にはここで仏の教えを説いたのだという。三蔵法師といえば物語中の人物のようだが、かつて彼が歩いた道をぼくらも辿っているのだと実感できた。
今回、ふたつの故城を訪れたわけだが、かつての栄華は見る影もない荒廃した大地だった。
それでも故城の上では当時と変わることなく
日が沈み、また朝を迎える。悠久の歴史の中に於いて、人間の一生などは本当にちっぽけなものに思えた。けれど、それを嘆いてみても仕方ない。ぼくらはただ、与えられた時間の中で精いっぱいのことをすれば、それでよいのではなかろうか。