『天に三日の晴れなし、地に三里の平なし、民に三分の銀なし』と呼ばれる貴州省。
雨や曇りの日が多く、険しい地形が多いため開発も遅れており、中国内でもっとも貧しい地域であると謳った言葉である。実際そこまで酷くはないが、例えとしてはあながち嘘でもないようだ。
村中の子供たちはみんな仲良し
とくに三里の平なしとはいい得て妙で、都市部ですら街の至るところに起伏があり、少し奥地へ入ればそこはもう山ばかりだ。
凱里市から
未舗装の山道を約2時間ほど走ったところに、
紙漉きと農業を主産業とする苗族の集落がある。
川沿いに佇む家々はザッと見たところ30棟くらい。辛うじて電気は通っているものの、ガスも水道もないこんな山奥でも人々は
のんびり暮らしていた。
子供たちは外国人(というより村人以外)が珍しいのか、やや警戒しながらも近寄ってくる。ぼくらがカメラを下げているのを見つけ、写真を撮ってくれと要求する。撮ってすぐに見られるデジカメが珍しいらしく、
自分たちの写真を見て
満面の笑みを浮かべた。
それにしてもこの村では、年頃の男性の姿をひとりとして見かけない。ここだけではなく苗族の村々のほとんどがそうで、目にするのは子供たちと老人ばかり。両親はどこへ行ったのだろう。
ふたり組の女の子に聞いてみたところ、父親は出稼ぎのために広州へ行っているそうだ。村に帰ってくることは年に何度もなく、現金収入を得るために必死で働いているという。父親が居ないのは寂しいけれど、街のお土産を持って帰ってくれるから。そういって、少女は明るく笑うのだった。
心からの笑顔を浮かべる彼らの心は、けして貧しくはない
次に訪れたのは
青曼村。ここもまた
女子供と老人ばかりだ。主産業は
刺繍と農業で、この村の刺繍に惚れ込んだとある日本人が、私財を投じてこの地に刺繍博物館を作ったという。
こんな辺境の地で同胞が関った痕跡を見られたことが、なんだかとても嬉しく誇りに思えた。ぼくの知り合いには私財を投じて、雲南に学校を建てたという人もいる。彼らは本当の金の使い道を心得ている人だと、尊敬して止まない。
金の使い道といえば、今回紹介した村々ではほんの数十年くらい前まで、貨幣という概念がなかったのではないだろうか。もちろんまったくなかったとは思わないが、村内の自給自足と物々交換がほとんどで、現金を必要とする場面はほとんどなかったのではないかと思うのだ。
田畑を耕し、牛を追い、夜は満点の星空を眺めながら眠りにつく。いわゆる物質的な豊かさはなかったかもしれないけれど、ぼくらよりもずっと心は豊かだったのではないだろうか。ところが村に電気が通り、携帯電話も繋がるようになった。便利な暮らしは手に入ったが、その対価を支払うために男たちは街へと出ていく。果たしてそれは、彼らにとってしあわせなことなのだろうか。
西部大開発政策の一環として、今も貴州省や雲南省などに多額の資金が投入されつつある。苗族たちの今の暮らしぶりを見られるのも、あとわずかしかないのかもしれない……。