『不到長城非好漢(長城に到らざれば好漢にあらず)』との言葉がある。
かの毛沢東主席が書いた漢詩からの引用で、男子なら長城へ登っておけとのことらしい。
好漢にあらずとは幾分挑発的だが、以前より一度は訪れてみたいと思っていた場所だ。
北京からなら日帰りが可能だということで、これを機会に好漢になってくることとした。
ひとくちに長城といっても、総延長は6,000キロメートルにも及ぶ世界最大の建築物だ。
中国の7つの省、市、自治区を跨いでいるので、場所によってその表情は異なっている。
今回はその中でも市内からのアクセスがよく、観光地としても有名な八達嶺を選んだ。
八達嶺へ向かうには鉄道、個人ツアー、タクシーをチャーターするなどの方法があるが
ぼくたちは919路の路線バスを使って、のんびりと景色を楽しみながら長城を目指した。
旅遊集散中心の観光バスとは違い、純粋な路線バスなので基本的には各駅停車である。
始発の徳勝門から乗り込んだので座席は確保できたものの、バス停に停まるたびに
大量の人民たちが乗り込んでくるので、車内は通勤ラッシュも真っ青の混雑ぶりだ。
おまけにオンボロバスに山道は辛いのか、途中2ヶ所で路線バスが立ち往生していた。
動かなくなったバスを乗り捨てた乗客たちが、後続の我々に助けを求めて手を振るが
こっちだって乗車率は200%を越えた状態なので、一瞥をくれただけで素通りする。
あの車両に乗っていたなら、同じ目に遭っていたかもしれないと思うとゾッとする。
幸い、我々の乗ったバスは故障の憂き目に遭うこともなく、無事に八達嶺へ到着した。
駐車場から辺りを見渡せば雄大な山々が広がり、その稜線には目指す長城があった。
八達嶺長城の最高峰、北八楼へ登るには徒歩か、ロープウェイを利用することになる。
この後の観光の為にも時間節約と、翌日に疲れを残さぬようにと、ぼくらは後者を選んだ。
といえば聞こえがよいが、実際はギラつく太陽と高低差を前に登る前から降参した形だ。
毛主席も登頂方法までは指定していないので、ありがたく文明の利器を利用させて貰おう。
ロープウェイでは一気に標高1,000メートル付近まで登り、そこからは徒歩での登頂となる。
登坂角25度近い急斜面には一切滑り止めなど存在せず、冬場や雨の日は転落も必至。
さらに角度が増せば石段となるが、それは階段というよりもハシゴに近いものだった。
海抜1,015メートルの北八楼は身動きできぬほどの人だが、そこからの眺めは最高だ。
山の稜線を縁どるように石造りの長城が、遥か先の山向こうへと果てしなく続いていく。
振り返れば後方にも同じように長く伸びており、その姿は山々の上を舞う龍のようだ。
グレートウォールとはよくも名付けたもので、これはたしかに偉大な壁に他ならない。
徒歩で登頂するのも困難な険しい山中に、これだけの大工事を成し遂げた人間の力と
それを成し遂げるだけの人員を動員できた皇帝たちの権力に、しばし想いを馳せた。
それにしても残念なのは、こんな立派な長城に
無数の落書きが彫り込まれていることだ。
どうやって掘ったのか、石の表面に登頂の記念と思われる日付や名前が刻まれている。
後世に名を残すとはいっても、これでは恥さらしとしてしか残らない気がするのだが。
これを見て毛主席がどう思うか判らぬが、少なくとも好漢のすることではないだろう。
地方の農村では、自宅の建築資材として長城の石煉瓦を持ち去る者も絶えないという。
過去の歴史よりも今の暮らしだとはいえ、それはあまりにも悲しすぎることである。
長城はもはや観光客を呼ぶ金のなる木ではなく、後世に伝えるべき大切な遺産なのだ。
100年後、風化の進行や人為的破壊により、現在より1,000キロも短くなってしまうとか
修復と称して作り直されたものに置き換わる、そんな事態が起きぬよう切に願った。
いずれ生まれて来るであろう我が子にもいつか、この壮大な風景を見せてやりたいと思う。
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八達嶺:長城
営業 7:00~18:00(冬季は17:00まで)
予算 入場 45RMB / ロープウェイ 40RMB
交通 北京北駅より火車で2時間 八達嶺下車 / 市内徳勝門より919路バスで1時間半