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ようやく念願叶って上海駐在員になれたしゅうの、上海での日々をまったりお伝えします。
by しゅう
 
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神々の棲む場所へ その2
山道を進んでいくとやがて、前方に検問所のような場所が現われた。

国境へと続くこの道では人の出入りが管理されており、ここから先へ進むには身分証明書と顔写真の照合が必要となる。島国に暮らすぼくらにはイメージし難いが、その気になれば徒歩で国境を越えることだって可能なのだ。普段はあまり意識したことのない境界線が、この先にあるのだ。

しかし、それは我々人間が決めたものであり、この雄大な自然にとっては意味を持たない。代わりに険しさを増す道の両側には切り立った山々がそびえ、人が住む世界との境界を成していた。

紅山:クリックで拡大   険しい山道:クリックで拡大   ブロンクリ湖:クリックで拡大
左:鉄分の多い紅山はその名の通り赤い  中:険しい山々に囲まれたハイウェイ  右:神秘の湖ブロンクリ湖は鏡面のよう

いくつ目かも判らないアップダウンを越えると、ふいに視界が大きく開けた。ブロンクリ湖だ。

広大な湿地は一部を除いて干上がっているが、まだ水が残っている部分は鏡面のように静かだ。遥か対岸には砂に被われた山々が広がり、湖面に移る姿が神秘的である。風に舞う細かい砂は刻一刻と姿を変え、強い風が吹くと山の形がすっかり変わってしまい、旅人を惑わせる。

バスを下車し湖面まで下りてみる。外気はひんやりと冷たく、半袖から突き出た腕の体温を容赦なく奪っていく。ここは既に標高3,200メートルの高地。岸辺に近い湖面は、すっかり凍っていた。ぼくらは逃げ込むようにバスに乗り込むと、さらなる高み、最終目的地のカラクリ湖へと走った。

出発から3時間半。ようやくたどり着いたカラクリ湖は、人間を拒絶するかのような場所であった。

キルギス族の住居:クリックで拡大   ラクダも寒そうだ:クリックで拡大   砂に覆われた山:クリックで拡大
左:こんな場所でも人間は暮らしている  中:強い寒風にラクダも心なしか寒そうだ  右:砂丘ではなく砂で被われた山々

青く輝く深遠とした湖は、常に氷温に近く小魚さえも見られない。湖面を渡る風は身を切るように冷たく、肌をなぶる。そびえ立つ山々は険しく切り立ち、生物の侵入を拒むかのようであった。ここは通常の生き物が暮らすべき場所ではなく、神々こそが棲まうに相応しい場所のように思えた。

それは神々しいほどに荘厳で、何ものも穢すことのできぬほど神聖で、そしてただ美しかった。

驚くべきはこんな極地にも、営みを行なう人間がいるということだ。遊牧の民キルギス族は、多数のヤクを引き連れ、夏の間はここで放牧を行なう。ガスも水道も電気もないこの場所で、ユルタと呼ばれる移動式テントで生活する様は、ぼくらから見ればまるで神の地の修験者のようである。

ぼくらは薄い大気に喘ぎ、肌を切る風に凍えながらも、神々とその使者たちが棲まう神聖な場所を、しっかりと記憶に焼きつけた。カシュガルに戻るバスからふと振り返れば、神々の峰が厳しさと優しさを兼ね備えた強い瞳で、そっとぼくらを見守ってくれているような気がするのだった。
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by sangyuan | 2007-10-11 01:00 | 観光情報
 
神々の棲む場所へ その1
目の前に広がる壮大な風景に、ぼくは言葉を失った。

陽光を受けてキラキラと輝く湖面の向こうには、白い雪を戴いたムスタグ・アダ山(7546メートル)がそびえ立っている。左手に目をやればコングル山(7719メートル)もはっきりと目にすることができた。嘘か真か、両山がこんなに鮮やかに見えるのは、このシーズンでは初めてだという。

ちっぽけな島国では望むべくもない風景に、ぼくは恐怖にも似た神々しさを感じたのであった。

カラクリ湖:クリックで拡大

シルクロードの旅3日目は、パキスタンとの国境付近にあるカラクリ湖を訪れた。

北京時間で午前9時。ようやく明るくなり始めたカシュガルを出発して、カラコルムハイウェイ(中パ公路)を西へと向かう。以前はそこかしこが工事中で砂利道も多く、片道で6時間はかかっていたそうだが、現在ではすっかり整備されたハイウェイのおかげで4時間程度の道程である。

ハイウェイとはいってもポプラ並木の一般道であり、バスの傍らをロバ車が走り抜けたり、羊の群れが横切るのを待って立ち往生するようなのんびりとした道路だ。そんな中パ公路を40分ほど走ると、ウイグル族たちが暮らすウーパール村へとたどり着いた。ここで若干の休憩となる。

ナンを焼く青年:クリックで拡大
焼きたてアツアツのナンは素朴な味
道の両側には果物羊肉の屋台が並び、さながらバザールのような活気がある。その奥ではウイグルナンを焼く釜があり、焼きたてアツアツのナンがとても香ばしい香りを放っている。

旅のおやつにと買い求めたそれは、素朴な塩味にほんのりスパイスが効いていて旨い。別の屋台にて試食させて貰ったハミ瓜も、上海で食べるものよりジューシーでずっと甘かった。

ウーパール村を越えて荒野を少し進むと、バスはタリム盆地から崑崙山脈へと分け入っていく。山脈からの雪解け水が流れるガイズ川の渓谷に沿って、これから3,600メートルの高みを目指すのだ。ガイズとはウイグル語で灰色を指すそうだが、なるほど川の流れは灰色に濁っていた。

ここからの景色は変化に富み、目まぐるしく変わる車窓は見ていて飽きなかった。赤い岩肌の山岳地帯を抜け、険しい山道を少しずつ上っていくと、やがて前方に白い頂が見えてくる。山肌に付けられた細い道がシルクロードの跡だと聞き、当時の旅の困難さに想いを馳せるのだった。
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by sangyuan | 2007-10-10 01:00 | 観光情報
 
西の果ての街、カシュガルへ
民家で昼食をご馳走になったあとは、カシュガルまで大移動となった。

まずはバスに乗り込み、ウルムチまで約2時間半の旅だ。視界に広がる無人の荒野をぼんやり眺めながら、ぼくらを乗せたクルマは始まりの街へと舞い戻った。ここで早めの夕食を取ってから空港へと向かい、中国のほぼ最西端であるカシュガルまで約1時間40分のフライトである。

夕闇のカシュガル空港:クリックで拡大
西の果てカシュガルは21時を過ぎてなお明るかった
機内食をごはんか麺から選べるのは中華系航空では珍しくないが、その中身が新疆料理のポロかラグ麺というのは珍しい。パッケージには清真(豚肉不使用のイスラム食)と書かれており、乗客にイスラム教徒が多いことが判る。

機内食を食べ終わったら、とくにすることはないので、いつしか眠りに落ちていた。鈍いショックに目を覚ますと、そこはもうカシュガルだった。

カシュガルは天山南路と西域南道が交わる場所であり、中央アジアと中国を結ぶ要衝として栄えてきた街だ。住民の大部分はウイグル族であり、ここまで来ると中国の香りは極端に薄れ、街全体にエキゾチックな雰囲気が漂っている。多くの民族、文化がこの街を行き交っていたのだ。

中国であって中国でない街の空気は、遠い異国に来たような気がしてワクワクする。ホテルの窓から夜の帳に浮かぶ街を見下ろしつつ、明日から始まる新しい旅に想いを馳せるのであった。
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by sangyuan | 2007-10-09 01:00 | 観光情報
 
初秋の陽澄湖上海蟹ツアー (告知)
朝晩には肌寒い風が吹くようになり、上海でも秋の気配が感じられるようになった。

上海の秋といえば、ずばり上海蟹の季節である。去年はことあるごとに食べまくり、本場である陽澄湖にも何度か足を運んだものだ。あれこれと食べ比べて思うのは、やはり本場で喰う蟹は安くて旨いという当たり前の真実だ。流通経費をカットした本物の上海蟹は、市内よりもずっと安い。

蒸したての上海蟹:クリックで拡大
蒸したてアツアツの上海蟹に、思わず歓声があがる
そんなわけで、今年も上海蟹を食うなら陽澄湖だなと思っていたところ、友人のfamifamiさんが主催するコミュニティ『ちか旅!』にて、陽澄湖を訪ねる蟹ツアーを開催との情報を得た。

どうせ行くなら大人数でのほうが安くなるし、なにより楽しいに違いない。せっかくのご縁だし、我らが『上海 de デート』も共催させて下さいとお願いしたところ、快く了承して頂けたのだ。

今回のツアーでは貸切りバスをチャーターして、上海蟹の産地である陽澄湖へ向かう。湖付近を見学したのち、本場の上海蟹(雄雌一対)と田舎の農家菜を楽しむのだ。さらに食後は甪直という水郷を訪れ、昔ながらの庶民の暮らしぶりが残る古い街並みを散策する予定となっている。

興味のある方は下記の応募要項をよく読み、締め切り厳守にて応募頂ければ幸いです。

 

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秋だ! 食うぞ上海蟹ツアー
種別 近郊旅行
日時 2007年10月28日 9:00出発(予定)
予算 350~450RMB程度(人数により変動あり)
内容 陽澄湖にて上海蟹を食した後、水郷甪直を訪ねます
期限 2007年10月20日必着
申込 本件は定員に達したので申込みを締め切りました
定員 30名
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by sangyuan | 2007-10-08 01:00 | 交流
 
ウイグル族の家庭料理
旅の楽しみといえば、その土地土地の食べ物だろう。

できれば観光客向けのものではなく、地元の人たちが食べているローカルな料理を食べてみたい。しかし、現実にはツアーの食事といえば小ぎれいなレストランで、無難にまとめられたものが出てくることが多い。今回の旅でもそんな料理が続いていたので、ちょっと辟易していたのだ。

トルファンの家庭料理:クリックで拡大
品数は少ないけれど、それぞれ手作りで調理されたものだ
ところが、この日の昼食はウイグル族の民家を訪問して、地元の家庭料理をご馳走になると聞いて一気にテンションが上がる。主婦が作る普通の食事も、旅人にとってはご馳走なのだ。

バスを下りて玄関をくぐると、白いタイルが貼られた可愛らしい邸宅が出迎える。ちょっとした中庭のような空間には縁台が置かれ、その上には絨毯が敷かれ、座卓が用意されていた。

見上げると上はぶどう棚となっており、中庭を渡る風と木漏れ日が心地よい。テーブルの上には干しぶどうやドライフルーツ、ウイグルナンや揚げ麺などが並んでいる。壁際にはかまどや作業台が設えられており、主婦たちが手打ちで麺を打ったり、料理の仕上げを行う光景が見られた。

ウイグルナンは上海でもよく食べるが、そのどれよりも旨かった。モッチリとした生地はスパイシーで、ほのかに玉ねぎの甘味が効いている。ポロと呼ばれるウイグル風炊き込みごはんも、上海では油っこいものを出す店が多いが、ここで食べたそれはさっぱり上品な味付けで美味だった。

手打ち麺:クリックで拡大   ポロ(手抓飯):クリックで拡大   親子の情景:クリックで拡大
左:鮮やかな手付きで麺が出来あがる  中:ウイグル風の炊き込みごはん(ポロ)  右:親子の情景はいつも微笑ましい

とくにお気に入りがラグ麺と呼ばれる、ウイグルの手打ち麺。小麦の生地を叩いて伸ばしてを繰り返していると、みるみるうちに太さ4ミリ程度の立派な麺が出来あがる。これを鍋で茹で上げたものに、羊肉やトマト、じゃが芋などが入った、やや酸味の効いたソースをかけて頂くのだ。

麺にはしっかりとコシがあり、もっちりとした食感はうどんにも似ている。思いっきりすすり込んで奥歯で噛み締めると、グイッと歯ごたえの残したのちにブツリと噛み切れる。この食感がなんとも甘美で、あっという間に平らげてしまう。ご主人の勧めに甘えて、ついおかわりまでしてしまった。

食後は干しぶどうや瓜などを頂きながら、久しぶりにのんびりとした時間を楽しんだのであった。
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by sangyuan | 2007-10-07 01:00 | 観光情報
 
笑い込み上げる料理 (笑笑)
それを見た瞬間、呆れるのを通り越して笑いが込み上げてきた。

居酒屋で短時間で容易に調理するため、冷凍の揚げたこ焼きを出しているのは見たことがあるが、こちらはいうなれば揚げお好み焼きとでもいうのだろうか。カリッと揚がった表面はこんがりキツネ色で、どうみてもお好み焼きに見えない。上にかかったソースや青のり、カツオ節が哀れだ。

お好み焼きモドキ:クリックで拡大
なんと呼んでよいのかすら判らない謎の料理
友人の誘いで笑笑を訪れることになったとき、嫌な予感が背筋を走った。笑笑といえば日本でもチェーン展開する居酒屋で、値段は安いが味はそれなりでしかない。その上海版となれば、あまり期待できないと感じても仕方ないだろう。

メニューには刺し身など和食のほかに、東南アジア系や中国料理、怪しげな創作料理が並ぶ。値段は20元台が中心とかなり低価格だ。

初めに出てきたサラダはそこそこだったが、それ以降の料理はガタガタだった。件のお好み焼きはもはやなんの料理か判らないし、見た目がチキンライスなナシゴレンは味もそのままだった。味付けが悪いなら素材を楽しもうと追加注文した、冷や奴や枝豆すら不可思議な味わいだった。

あまりにあまりな料理に打ちのめされたが、同行の友人との会話は楽しかったのが救いである。

 

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笑笑 東湖路店
種別 多国籍料理居酒屋
住所 上海市徐匯区東湖路30号 (東湖路 x 淮海中路、交差点を北西)
営業 11:30~15:00 / 17:00~0:00(金曜のみ2:00まで)
電話 021-5403-8588
交通 地鉄1号 陜西南路 / 公交 淮海中路ほか
予算 ナシゴレン 22RMB / 生春巻 12RMB / グリーンカレー 38RMB ほか
言語 日本語 / 中国語
菜単 日本語 / 中国語 / 英語 / 写真あり(一部)
備考 不可思議な料理の数々
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by sangyuan | 2007-10-06 01:00 | 街角グルメ
 
人の造りしもの (カレーズ)
シルクロードのオアシスには、3つのタイプが存在する。

ひとつは河川を利用したもの。ひとつは湧き水を利用したもの。そしてもうひとつは、カレーズと呼ばれる施設を利用したもので、トルファンはこのタイプのオアシス都市である。カレーズとはいったいどのようなものなのだろうか。それを知る手がかりを求め、カレーズ民族園を訪れた。

カレーズ:クリックで拡大
地底を這うようなトンネルから清流が流れていた
カレーズとはペルシャ語で、掘って水を通す施設を意味する。もともとはイランなどで行われていた潅漑方式で、シルクロードを通じてこの地にもたらされた古(いにしえ)の技術だ。

その方法はこうだ。まず天山山脈の水脈を堀り当て、そこから一定間隔で竪穴を掘っていく。それぞれを緩やかな傾斜をつけた横穴で結び、居住地区までの地下水路を構成するのだ。

これらはすべて手掘りで行われるため、1日の掘削速度は1メートル程度。完成までには数年の歳月を要するが、それでも安定した用水を確保するため、いくつものカレーズが掘られた。その数はじつに1,000以上、総延長は4,000キロにも達するため、地下の長城とも呼ばれている。

民族園はそんなカレーズのひとつを、観光向けに一般開放した施設。ゲートから中に入ると、大粒の実をたわわに実らせたブドウ棚が迎えてくれる。これらのブドウはカレーズによる潅漑で育てられている。最初の建物でカレーズの仕組みを学んだら、いよいよ地下を通る水路を見学だ。

たわわに実ったブドウ:クリックで拡大   民族衣装の女性たち:クリックで拡大   カレーズの断面模型:クリックで拡大
左:実りだけでなく日除け効果ももたらす  中:エキゾチックな美女らと記念撮影  右:模型の中には実際に水が流れている

らせん階段を地中深くへと下っていくと、やがて清らかな水の流れが目に入る。パッと見はたんなる用水路といった趣きだが、この水が天山山脈の麓から何十キロも地中の水路を旅してきたかと思うと感慨深い。トルファンの民にとっての命の水に手を浸すと、それはひやりと冷たかった。

素掘りのカレーズは崩れ易く、崩落してしまうことも少なくない。その度にこの地の民たちは地中へと潜り、命がけでメンテナンスを行ってきた。21世紀の現在でもそれは変わらない。ここトルファンは遥かな昔より脈々と受け継がれてきた、人の造りし水脈によって支えられているのだった。
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by sangyuan | 2007-10-05 01:00 | 観光情報
 
火焔山とベゼクリク千仏洞
火焔山をご存知だろうか。

中国の有名な小説『西遊記』の中に登場する山で、全体が赤々と燃え上がり玄奘三蔵一行の行く手を阻んだ難所である。もちろんこれは想像上の話ではあるが、トルファンにはこの物語の舞台となったモデルの山がある。名前はそのまま火焔山で、その姿は燃えるように赤いという。

火焔山:クリックで拡大
夏にはゆらゆら燃え上がるという
火焔山はトルファン盆地の中央部に横たわる東西約100キロ、南北10キロに渡る山地である。褶曲運動によりひだの入った山肌は鉄分を多く含むため、うっすらと赤味を帯びている。

中国でも屈指の高温地帯であるトルファンだ、夏場には山肌の温度は60℃を越えるという。立ち上る陽炎がゆらゆらと揺らめき、山全体がまるで燃え上がっているように見えるという。

残念ながら秋深まるトルファンではそんな光景は見られなかったが、それでもなかなかの絶景である。渓谷を流れるムルトゥク河を右手に見ながら、ぼくらを乗せたバスは次なる目的地であるベゼクリク(柏孜克里克)千仏洞の入り口へとたどり着いた。

ベゼクリクとはウイグル語で「美しく飾った家」を意味する。6世紀から14世紀にかけて、この地に多数の仏教石窟が掘られ、内部は宗教壁画や仏像などで美しく飾られていた。9世紀中頃には王族の寺院とされ、現存する石窟83窟のうち大部分はこの時期に制作されたものだという。

谷底には天山山脈の雪解け水が流れ、この乾いた土地にも緑が茂っていた。渓谷の壁沿いに少し下ると、日干し煉瓦を積み上げた趣きある石窟群が目に入る。この雄大な自然にも不思議と調和しているが、埃っぽい建物に付けられた、無粋なアルミ扉だけは強烈な違和感を放っていた。

扉の中に入るとドーム状の天井を持つ石窟内に、いくつもの壁画が描かれている。だが、その大半は無残にも剥がされ、削り取られ、元の姿を留めていなかった。元々この地は仏教が盛んであったが、15世紀に入ってきたイスラム教が勢力を増すと、徐々に駆逐されていったのだった。

ムルトゥク河とベゼクリク千仏洞:クリックで拡大   風化が激しい:クリックで拡大   厳重に封印されている:クリックで拡大
左:川沿いの壁面にはかつての大寺院が   中:発見時には砂に埋もれていたという   右:盗難を防止するための無粋な扉だ

19世紀に入るまで忘れ去られていた千仏洞に、再び脚光を当てたのはドイツの探検隊だった。当時、多くの石窟は砂に埋もれ、残る穴は羊飼いの住居や厩舎と化していた。彼らが遺跡を覆う砂を払いのけ発掘を行うと、中からはイスラムの破壊を免れた美しい壁画が姿を現わしたのだ。

しかし現在では、その壁画もほとんど失われてしまった。ドイツを中心とした外国の探検隊たちが、そのほとんどを根こそぎ持ち去ったのだ。その中には我々日本の探検隊も含まれる。当時の中国の状況を考えれば保護したとも取れるが、今は元あった場所に返すべきではと思うのだ。

だが、ドイツが持ち去った大量の壁画は、先の大戦で灰燼に帰した。とても残念な話である。
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by sangyuan | 2007-10-04 01:00 | 観光情報
 
安息の地 (アスターナ古墓群)
高昌故城からクルマで5分程度の場所に位置する、アスターナ(阿斯塔那)古墓群を訪れた。

アスターナとはウイグル語で「安息の地」を意味するもので、文字通り多くの人たちがこの地で永眠している巨大な霊園だ。10平方キロのエリアに2,000基以上の墓があるといわれているが、そのうち500基のみが発掘済みである。観光客が見学できるのは、わずか3基しかない。

アスターナ古墓群:クリックで拡大
墓室内は撮影禁止であった
敷地内に一歩足を踏み入れると、獣の顔にヒトの身体をした奇妙な立像が出迎えてくれる。これは鎮墓獣と呼ばれるもので、墓を守る魔除けの人形だ。ここでは十二支を象ったものが並ぶ。

塀で囲まれたエリアを出ると、広大な荒野が広がっている。ところどころに土の山が盛られている以外はなにも見えないが、この地下に2,000体以上の遺体が埋められているはずだ。古いもので273年、もっとも新しいもので778年に埋葬されたものらしい。

すべての墓は斜めの参道を持ち、地中には墓室が存在する。乾燥した気候が幸いして保存状態は良好で、盗掘もほとんどなかったという。内部の遺体は腐敗せずに、ミイラ化したものが多い。

地下への参道を下っていくと墓室の入り口左右に、人が屈んで入れるだけの穴が開いている。ここに前述の鎮墓獣が一対置かれていたそうで、死者を守っていたようだ。薄暗い内部には壁画が描かれ、故人の生前を現わしていた。湿っぽさはないが、あまり気味の良い空間ではない。

ふたつめの墓も壁画があるのみで、遺体は博物館に運ばれたという。ただし、3つめの墓については、ガラスの棺に収められた夫婦のミイラが横たわっていた。死してなおよりそうふたりの生前ははかり知れないが、きっとしあわせな生涯を送ったのではないかと思えてくるのだった。
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by sangyuan | 2007-10-03 01:00 | 観光情報
 
沈む夕日と昇る朝日
トルファンの市街地へ入る前に、交河故城と呼ばれる城跡を訪れた。

ふたつの河が交わる高台は、かつてこの地で栄えたとされる車師前国の都があったという。6世紀初頭には高昌国の交河郡城が築かれるが、現存する遺跡は唐代以降に建築されたものだという。いくつもの国や民族がこの地で繁栄を極め、やがては衰退し、滅亡していった名残なのだ。

南側入り口より高台の上に出ると、その壮大なスケールに驚かされる。

夕日に浮かぶ交河故城:クリックで拡大

我々日本人の概念からいえば城は城でしかないが、中国に於いての城は城塞都市である。南北に約1キロ、東西の最大幅が300メートルを越える場所に、泥と石で積み上げられたような都市の残滓が広がっている。かつて多くの人々が行き交ったであろう名残は、そこにはなかった。

それにしても19時を過ぎてなお、新疆の空は明るかった。

中国はその広大な領土を持ちながら、全土を北京時間で統一している。しかし、それではいろいろと不便も大きかろうと、新疆ウイグル自治区ではウイグル時間と呼ばれるローカルタイムも採用している。時差は北京時間からマイナス2時間ほど。つまりはまだ17時過ぎ程度なのだった。

ぼくらは沈む夕日に照らされる遺跡内を散策しながら、この街の盛衰に想いを馳せるのだった。

仏塔跡地:クリックで拡大   見張り台跡地:クリックで拡大   刑務所跡地:クリックで拡大
左:200ある仏塔中でも最大級のもの  中:かつて見張り台があったとされる場所  右:半地下にある刑務所的な施設


翌日はまだ薄暗いうち(といっても7時半頃)からホテルを出て、高昌故城を訊ねた。

高昌は先に述べた車師前国を滅ぼした国で、トルファンを中心に1,000年以上に渡り栄華を極めた。その治所はカラホージョと呼ばれる都城址で、総面積は200万平米、外周5キロに及ぶ広大な敷地を城壁で囲い、その内部を宮城、内城、外城に分けて政治・経済の中心としていた。

だが、現在は見る影もなく、荒涼とした大地にぽつりぽつりと遺物が残るばかりの寂しい場所だ。

敷地内の移動には観光用のロバ車が利用される。もちろん徒歩でも散策することができるが、のんびりと歩いていては丸1日あっても足りないほど広い。ぼくらはシルクロードを旅するキャラバン隊よろしく、荷台にぎゅうぎゅうに押し込まれたまま、朝焼けの眩しい荒涼たる大地を疾走した。

高昌故城の朝焼け:クリックで拡大   ロバの引く馬車にて:クリックで拡大   風化の激しい城壁跡:クリックで拡大
左:朝焼けが照らす城址は無人の荒野  中:のんびりとロバに引かれて進む  右:他民族による破壊と風化が進む城壁


城址の中央部には、小さな祠のような建物(再建)が見られる。これは僧侶が説法に利用した場所だそうで、かの玄奘が高昌国を訪れた際にはここで仏の教えを説いたのだという。三蔵法師といえば物語中の人物のようだが、かつて彼が歩いた道をぼくらも辿っているのだと実感できた。

今回、ふたつの故城を訪れたわけだが、かつての栄華は見る影もない荒廃した大地だった。

それでも故城の上では当時と変わることなく日が沈み、また朝を迎える。悠久の歴史の中に於いて、人間の一生などは本当にちっぽけなものに思えた。けれど、それを嘆いてみても仕方ない。ぼくらはただ、与えられた時間の中で精いっぱいのことをすれば、それでよいのではなかろうか。
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by sangyuan | 2007-10-02 01:00 | 観光情報


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