山道を進んでいくとやがて、前方に検問所のような場所が現われた。
国境へと続くこの道では人の出入りが管理されており、ここから先へ進むには身分証明書と顔写真の照合が必要となる。島国に暮らすぼくらにはイメージし難いが、その気になれば徒歩で国境を越えることだって可能なのだ。普段はあまり意識したことのない境界線が、この先にあるのだ。
しかし、それは我々人間が決めたものであり、この雄大な自然にとっては意味を持たない。代わりに険しさを増す道の両側には
切り立った山々がそびえ、人が住む世界との境界を成していた。
いくつ目かも判らない
アップダウンを越えると、ふいに視界が大きく開けた。
ブロンクリ湖だ。
広大な湿地は一部を除いて干上がっているが、まだ水が残っている部分は鏡面のように静かだ。遥か対岸には砂に被われた山々が広がり、湖面に移る姿が神秘的である。風に舞う細かい砂は刻一刻と姿を変え、強い風が吹くと山の形がすっかり変わってしまい、旅人を惑わせる。
バスを下車し湖面まで下りてみる。外気はひんやりと冷たく、半袖から突き出た腕の体温を容赦なく奪っていく。ここは既に標高3,200メートルの高地。岸辺に近い湖面は、すっかり凍っていた。ぼくらは逃げ込むようにバスに乗り込むと、さらなる高み、最終目的地のカラクリ湖へと走った。
出発から3時間半。ようやくたどり着いたカラクリ湖は、人間を拒絶するかのような場所であった。
青く輝く
深遠とした湖は、常に氷温に近く小魚さえも見られない。湖面を渡る風は身を切るように冷たく、肌をなぶる。
そびえ立つ山々は険しく切り立ち、生物の侵入を拒むかのようであった。ここは通常の生き物が暮らすべき場所ではなく、神々こそが棲まうに相応しい場所のように思えた。
それは神々しいほどに荘厳で、何ものも穢すことのできぬほど神聖で、そしてただ美しかった。
驚くべきはこんな極地にも、営みを行なう人間がいるということだ。遊牧の民
キルギス族は、多数のヤクを引き連れ、夏の間はここで放牧を行なう。ガスも水道も電気もないこの場所で、
ユルタと呼ばれる移動式テントで生活する様は、ぼくらから見ればまるで神の地の修験者のようである。
ぼくらは薄い大気に喘ぎ、肌を切る風に凍えながらも、神々とその使者たちが棲まう神聖な場所を、しっかりと記憶に焼きつけた。カシュガルに戻るバスからふと振り返れば、神々の峰が厳しさと優しさを兼ね備えた強い瞳で、そっとぼくらを見守ってくれているような気がするのだった。